十応寺供養

2月12日、自治会主催により願行寺住職倉橋上人をお迎してお勤めが行われました。各組の組長さん、稲垣議員さん方がお詣りされました。
十応寺はかって、野田町にあるブラザー工場のあたりに奈良時代に創建された大きな寺でした。しかし、中世戦乱期を経てしだいに衰え、享保年間には堂宇を残すのみとなったそうです。いつ頃か分かりませんが、半城土村民の意により、観世音菩薩を本尊とする「十応寺」を半城土地区を守る寺として半城土村の鬼門の方向である現在の地に誘致されたそうです。土地は半城土村の土地でした。しかし、依佐美村に合併し、そして、刈谷市に合併した現在は刈谷市の土地となっています。刈谷市はこれまでの歴史・経緯を理解し、自治会に十応寺管理を許可しています。自治会は先祖の方々の思いを理解し、半城土住民の安心・安全を守るこれまでの伝統・文化を引き継ぐとともに寺に存在する文化財を守るために管理を行っています。