半城土の地名 5(三ツ又・掛貝)

三ツ又  
場所は、字の通り三つに分かれたところで、猿渡川の東海道線に鉄橋を下流あたりを言います。昔は、このあたりから、現在の下り松川が分流しており、三つ又になっていたことから地名になっていました。大正時代まで、この地に土場があり、船による人・物の積み下ろしがあった場所です。重原地区・半城土地区・野田地区の物資の移動が行われ、戦国・江戸・明治・大正・昭和と各時代ごとに使われており、年貢米・肥料・生活必需品・人の交流があって、川底が高くなり、かつ物流が車に代わってから土場の物流はすたれててしまいました。面白いことは、半城土で塩田があり、塩の生産があったことです。これはここまで、潮の満ち引きがあったことを意味します。最近では、東海豪雨でこの地域が水没したことは有名です。

掛貝   
森前川の下流地域を指します。掛けは、用水路と深い関わりのある地名で、森前川の下流地域の新田開発をしたところを指します。猿渡川の堤防が大きく曲がったところも、大曲といったそうです。
この地に伊勢湾台風まで、河原に家が立っており大変だったといわれています。
隣の半城土グランドは、昭和の後半にできた場所です。